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「不完全の美学」について

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いっぱいは溢れる…

愛も満腹だと、欲がうすれ飽きてしまう。
もしかすると足りないぐらいの愛の方が、長く続くのかもしれない。

おっと、今日のテーマは「愛」ではありません。
「不完全の美学」「不足の美」

清少納言の言葉→「月は満月よりも、幾分欠けているほうが風情がある」
次にこれも有名なお話ですが、利休が17歳の頃、師匠である紹鴎から庭掃除を命じられる。
しかしそこはちり一つ落ちていない完璧な掃除が行き届いた庭。そこで利休は突然、庭の木を揺らし木の葉を散らし始めた。
そして「ちり一つない庭はさびしすぎて侘びがない、落ち葉が少々散っているほうがいい」と言った。
「秘すれば花なり」と名言を残した世阿弥の能楽論もやはり同じ。 目に見えるものがすべてではなく、大切なものは目に見えない。 人々がめいめいに心の中に咲かせる花が「まことの花」であると説いた。

不足の美、未完の美、余白の美。そして引き算の美学。 

日本文化を語る上で、決して外すことのできないキーワード。

枯山水庭園は、見る者が水を感じることで心の中で完成する。 
本当の美しさは、不完全を心の中で完成させた人だけが見出すことができる。
本当の美しさは、心の中で余白を埋めることで完成する。 
私たちの人生は「はかない」もの。 だからこそ、すべて限りあるこの世に永遠を見立てようとする。
「幽玄(有限)の中に無限の美を見る」といった感覚が、日本の伝統である。

このような文化が日本人の根底にあり、我々の心の中にもこういった美意識があるのは間違いない。西洋文化のように、シンメトリー(左右対象)で、完璧を求めるスタンスとは、根本的に違うのかもしれない。

クリエイティブなこと、写真を撮ったり、絵を描いたり、部屋のレイアウトを考えたり、表現者と受け手が異なる場合は「不完全の美学」を意識してみるといいかもしれません。


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